Interview 01 KEYTALK チーフマネージャー古閑 裕さん
“下北のインディーズ番長”として知られるKOGAレコーズの古閑社長だが、マネージメントするKEYTALKがメジャーに進出し大ヒット、2015年10月には武道館ワンマンも成功させた。その古閑さんがKEYTALKの武道館ロードと、2016年の音楽予想図を語る!
text:阿刀“DA”大志 photo:岡本麻衣(ODD JOB LTD.)
「武道館取っちゃいましたよ。キャンセルはできませんから」って。
それで腹くくんなきゃいけないかなって。
なんやかんやで4〜5年に一回ぐらい当たっちゃう
古閑さんは90年代前半にバンドVenus Peterのメンバーとして人気を獲得し、1994年にバンドが解散した直後にKOGAレコーズを始めたということですが。
当時、僕らVenus Peter でUK.PROJECTに所属してて、これは本当に逆恨みなんですけど、UKから解雇されたみたいに思ってて、“クソ!”っていう勢いでレーベルを始めたところがあったんですよ。今はよく飲んだりしてますけど。あとは、海外にもクリエイションとかサブポップとかいろんなインディレーベルがあったし、アーティストがレーベルをやるっていうのがカッコいいと思ってた。そういう憧れもありましたね。
でも、ビジネスに関しては素人だったのでは?
ただ、興味はあったんですよ。大学の卒論でインディとメジャーがどうのこうのみたいな、経済学とからめたような論文を書いてみたり。Venus Peterと並行して当時アルファレコードでアルバイトもしてたし。そこで流通について教えてもらったり、印刷屋を紹介してもらったり。それで、アルファレコードがなくなるときに、上の方から「古閑くんは独立したほうがいいんじゃない?」っていわれて踏ん切りがついたっていう。それからは大変なときもあったけど、なんやかんやで4年か5年に一回ぐらい(バンドが)当たっちゃうっていう偶然があって、どうにかこうにか食えちゃって。KEYTALKもそのひとつだと思うんですけど。
KEYTALKのどんなところに引っかかったんですか?
事務所にデモテープが送られてきてたんですけど、その頃の彼らはバンアパ(the band apart)からの影響を強く受けてたんですよ。それで、僕もバンアパは好きだから一度ライブを観に行って。そしたら業界の人がいっぱい来てて、“たぶん、うちには来ねぇだろうな”と思いながら1年ぐらいアプローチしてました。それで最後に下北のマクドナルドで、「メジャーに行きたいなら、そっちでがんばったほうがいいよ」って話を(小野)武正にしたら、「いやいや! 古閑さんのところでやりたいんですよ!」「マジか!」ってあっけにとられちゃって。一時期は10社ぐらいからアプローチされてたようなバンドなんで、「こりゃ俺、がんばんなきゃな」って。
これまでのバンドとは違ってましたか?
そうですね。最初から「メジャーに行きたい」っていってたので。それで、「あ、そういうバンドを手伝うのもいいかな」って挑戦みたいな感じで思えたんですよね。これまでにもうちのレーベルからメジャーに行くバンドはいたけど、メジャーに行ったら僕はほとんどノータッチだったので。
これまではただ出したいものを出すっていうスタイルだっただけに、勝手が違って結構大変だったんじゃないですか?
でも、当時はSpecialThanksがすごく売れてたのでそのフロントアクトにつけたり、サウンドプロデューサーをやってもらっていた田上くん(FRONTIER BACKYARD)の紹介で先輩ミュージシャンとの縦、横のつながりを作ったりして、そういうところから広めていきました。「シェルターでやりたい」っていうからシェルターの深夜イベントにぶっ込んだり。そしてある時期、あいつらが「英詞と日本語詞で半々だったのをすべて日本語詞にしたい」っていってきたんですよ。それがうまくハマったというか、新しい世代のJ-ROCKのはしりみたいな感じになって。
メジャーに上げてやらなきゃいけないっていう責任感もありつつ、そのなかで古閑さんが面白いと思うことをやっていたと。
そう! あいつらは実験台だったんですよ(笑)。俺がこれまでやれてなかったことをあいつらで試してみて、どれだけ広まっていくかっていうのを見てみたくて。
そのうちジワジワと人気が広がって。
お客さんの反応が変わってきましたね。女の子のお客さんが増えたり、地方都市にも週1、2回ライブに行ってたんで、東京以外のお客さんもどんどん増えてきたんですよ。それは手売りのCDの売上にも如実に現れてて、1回のライブで20〜30枚ぐらい売れることがあったり。
地方から火がついたのはどういう理由だと思いますか?
地方の個人イベンターさんとかライブハウスの店長さんと仲良くなって、よくイベントに呼ばれるようになったんですよね。それが理由のひとつなのかな。そのうちだんだん東京のライブハウスの人が気づいてくれて、誘いを受けるようになった記憶がありますね。

「メジャーにいるからにはオリコンでトップ3を目指すようなアーティストになってほしい。」
突然変異のようにああなったのは自分たちで開拓したんだと思います
KEYTALKってこれまでのインディシーンとは違う流れで人気が出て、新しい時代の幕開けを感じました。
そうなんですよね。もともと影響を受けてるのはバンアパや、ある意味真逆な歌謡曲だったりするんで、突然変異のようにああなっちゃったんですよ。それは自分たちで開拓したんだと思います。
正直、彼らの新しい感覚って共有できてました?
いや、できてなかったですね。古い考え方かもしれないですけど、バンアパみたいにスタイリッシュに、英詞でガンと行ってほしかったっていうのがあって。でも、それだったらただのコピーバンドで終わってたのかもしれない。そこを自分たちの解釈で突き進んでいったのが今時なのかなと。
そして、メジャーに行くという目標は達成しました。
でも、メジャーに行っただけじゃしょうがないから、やるからには音の方向性に関してもメジャーの方々と改めて共有しないといけないと思ってたので、いろいろ相談しながらやりました。結構ドラスティックな変化ではあったんですけど、メンバーはそれにちゃんと順応して、そこから一皮も二皮もむけていきましたね。
では、どのへんでバンドの状況が変わったと思いますか?
「MONSTER DANCE」ですかね。あれは賛否両論あった楽曲で、「KEYTALK終わったな」っていう人もいるぐらいだったんですけど、あれで振り切ったところはありました。この曲には振りがついてるんですけど、インディーズの頃にも氣志團の真似をして半分ギャグで振りをつけた曲がほかにもあったんですよ。でも、当時のメンバーからは「もう封印したい」っていわれて。ただ、ビクターとの話を進めていくなかで、「この曲は解禁しない?」って話になって、ちゃんと振付師をつけてやってみたら大ウケしたという。
フェスの盛り上がりともリンクしましたよね。
そうなんですよ。うまく時代に合ったというか。お客さんに確実にCDを買ってもらうというビクターさんのメジャー的戦略も私的には新鮮でした。
実は今の若い子のほうがCDを買ってるんじゃないかな
日本武道館でライブをやるという話はいつ頃からあったんですか?
僕と一緒にやるときから、「メジャーに行きたい、メシを食えるようになりたい、武道館でやりたい」って漠然とですがいってたんですよね。だから、メジャー2年目でやれたのには自分でもびっくりしてます。
武道館って1年前ぐらいから押さえてなきゃいけない会場ですよね。
だから、最初取れたって聞いたとき「いや、これは無理でしょう」って思ってたんですよ。でも、ライブ制作の方が「あ、取っちゃいましたよ。キャンセルはできませんから」って。それで腹くくんなきゃいけないかなって。でも、みんなで目的を共有してやっていくとだんだん見えてくるんですよね。
そうしたらその1年で急成長を遂げて。
そのへんはビクターさんとの協力体制があったり、フェスのオファーをたくさんいただいたのが大きかったですね。そこで大人数のお客さんを盛り上げるスキルを磨けましたから。でも、ああいう場でちゃんと自分たちのキャラをアピールできるようになったのは、自分たちの力でしょうね。あいつら、リハの量が多いんで。
武道館のライブが大成功に終わって、これで一区切りといったところでしょうか?
そうですね。ただ、ここまで来たら次のステップを狙わないと面白くないんで、次を模索してます。インディーズならどうでもいい話なんですけど、メジャーにいるからにはオリコンでトップ3を目指すようなアーティストになってほしいし、僕のレーベルとしてもKEYTALKで実験ができたので、次もそういうアーティストがいたら面白いのかなって
音楽業界は今後どうなると思いますか?
業界全体が明るくなってきたように見えるし、KEYTALKみたいなバンドがテレビにも出られるようになって、面白い時代になってきた気がしますね。いろんなジャンルの人がお互いに切磋琢磨してるし。
最近は、本当にインディとメジャーの壁がなくなってきましたよね。
最近、CDショップで配布されてるあるフリーペーパーに無料CDを付けて、そこに付いてる応募券を、販売してるCDに封入されたハガキに貼って送ってくれたらもれなくプレゼントをあげるっていう企画をうちのBenthamっていうバンドでやってみたんですけど、応募の数がすごくて、しかも10代後半の子がほとんどなんですよ。実は今の若い子のほうがいろんな目的でCDを買ってるんじゃないかなぐらいの勢いで。だから最近、男子の邦ロックが調子いいのかなって。メジャーとも連携を取りつつ、自分たちにしかやれないような面白いことをやれば、何かしら反応が返ってくる時代なのかなって思ってます。