もともと音楽ビデオはほかの映像メディアに対する
アンチテーゼだったんです。
僕は“MV的な定型ではない方向”に進みたい
現在のMV制作の現状について、どうお考えですか?
すごく手間をかけたりお金をかけたりしないとできなかったことが自分の手ですぐにできるようになったので、とてもいいと思います。昔に戻れと言われても僕は戻りたくないですね。不満があるとするならば、MVというものが“定型”を持ち始めてしまったこと。もともと“こうじゃなきゃいけない”というものから“外れていく”というのが、ほかの映像メディアに対する音楽ビデオのアンチテーゼだったんですが、今はそれがほぼできていないと思う。そういう意味では、僕は今でも“MV的な定型ではない方向”に進みたいし、そういうものが一番面白いと思っています。もちろんわかりやすいものを作ったりもしますが、そういうときでも自分がそれまでに少しでもやったことのないことに挑戦したいと思っています。
できることが増えているとはいえ、予算がないから定型的な作品を作らざるを得ないと考える人が多いです。どうしたら定型の発想から抜け出せるんでしょうか。
いろいろあるけど、極端な例をひとつあげるなら“演奏しない”ということですね。
それはどういうことでしょうか。
演奏シーンを撮らないことでどこまでいけるか考えるんです。たとえば、バンドのMVでハイハットから始まる曲に対してハイハットを叩くシーンを撮る人がいますけど、ハイハットが鳴ってるのは聴けばわかるから、その画はいらない。
確かに。
でも、それをやってしまう理由がいくつかあって、一番大きいのは“慣れ”なんですよ。なんとなくそこから始めてしまう。またはそういうシーンから始めてほしいと言われたか。どちらでもないならハイハットの画は普通の発想なら入れないと思うんです。同じように、ギターの音が鳴ったときにはギターの画を入れない。そうやって突き詰めていくと“演奏シーンを撮らない”ということになるんです。僕はいつもビデオの打ち合わせで「演奏シーンを撮らないっていうのはどうですかね?」と提案します。実現することはほとんどないけど、とりあえず一度言ってみるんです。
頭を一度リセットすると新しい発想を受け入れやすくなる
「バンドらしい勢いのある演奏を撮ってほしい」と言われてしまいますよね。
そういうときは、「そういうビデオは100万本ぐらいあるけどいいですか?」と言います(笑)。なぜ“演奏しない”という提案をするのが大事かというと、そうすることでみんなの頭を一度リセットできるんです。その結果、これまでとは違った発想を受け入れやすくなる。たとえば、レッチリのMVでメンバーがネックの折れたギターを弾いているものがありますが、あれは “ちゃんと演奏しているのは面白くないから、記号として楽器を持ちましょう”という話だったんじゃないかと思うんです。彼らのスタイルから考えると、あの作品そのものが“定型の音楽ビデオ”に対するアンチテーゼだったと思います。
それは興味深い考察です。
僕も楽器を持っていない作品はいくつか撮ったことがあって。エアギターの存在が広く知られる前に、楽器を持っているふりをしたメンバーの映像に、楽器だけを映した映像をフェードインさせる。そうすることでメンバーが楽器を持っているように見える。そういう作品をPolarisで撮りました(「深呼吸」)。
その作品は印象的でよくおぼえてます。
こういうアイデアは最初からは思い浮かびにくいんですよ。だけど、“これはやめよう”“これもやめよう”って引き算をやっていった結果、ああいうビデオになったんです。
面白い考え方ですね。
そうするためには頭のなかをいったんフラットにして、“こうあるべきだ”と考えられていたものが“本当に必要なのか?”を検証する。結果的にフルで演奏シーンを撮ることになってもいいんです。だけど、考えた果てに撮れたものは、最初から演奏を撮るつもりで考えていた演奏シーンとは違ってくると思います。
この“リセット理論”はどんなアーティストでもすぐに始められるアイデアだと思います。ところで、最近川村さんはアプリのプロデュースをしているそうですね。
はい。Bionというカラオケ動画コミュニティアプリなんですが、自分で動画を撮ってアップすることもできるので、プロもアマチュアも、そこでMVの新しい使い方や作り方ができないものか、今いろいろ動いています。
PROFILE
CMやMVを手掛ける映像ディレクター。これまで手掛けたMVは、サザンオールスターズ、ゲスの極み乙女。、安室奈美恵、藤井フミヤ、フィッシュマンズなど多数。