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名物プロデューサー列伝

2018年01月18日 (木) 名物プロデューサー列伝

vol.74 株式会社KA代表取締役 大石美喜江さん

日本を代表するディーバ、UAがデビューしたのが1995年。以来23年変わることなく、これまでずっとマネージャーを務めてきた大石さん。2006年にはUAとともに独立し、プロデューサーとしてまさに二人三脚でがんばっている大石さんの、大人としてカッコいいアーティストを育てる手腕をひも解く。

UAみたいな人ってほかにいないから、
手探りで地道にやっていくしかないんですよね。

UAに出会うまで

音楽業界のキャリアでいうと、最初は
どこになりますか?

 当時、インクスティック芝浦ファクトリーってあったんですけど、19才くらいからそこで働きだしたのが最初ですね。まだ立ち上げの頃で、ああいうクラブとライブがミックスした空間っていうのはほかになったし、すごく面白そう、絶対バイトしたい!と思って行ったら採用されたんです。

国内外の先鋭アーティストがこぞって出ていた、おしゃれなライブハウスの先駆けですよね。

 もうすごかったです。特に若いときなんてお金払ってなかなか行けないけど、どんなのも観られるし、それこそ好きじゃないジャンルも観られるし。あの3年間は本当に私を作ったと言っても過言じゃないです。

プロダクションとしてはいかかです?

 インクスティックは3年限定だったんですけど、そこにいるときに海外も含めていろんな方に誘われて。そのなかで、当時JOH NNY, LOUIS & CHAR、PINK CLOUDをやっていたCharさんの事務所の人に誘われたんです。

江戸屋ですね。

 そうです。江戸屋を立ち上げたときだったんですよ。自分たちでデリバリーしていくっていう、既存のものじゃない経験ができるなと思って行ったんですね。江戸屋にはしばらくいたんですけど、すごくかわいがってもらって。なぜか私、デスクをやってたのにマネージャーの車を運転してツアーとか行ったこともあります(笑)。

そこである種、多岐にわたるマネージメント業務をおぼえていったという(笑)。

 そうなんです。何でもやってました。それこそファンクラブの版下を作ったり、グッズも作ったり。もう全部やってましたね。

振り返ると、いい経験でしたよね。

 めちゃめちゃ良かったです。で、ライブも素晴らしいじゃないですか。ああいうパイオニアの人たちの姿を横で見られるって、本当に幸せだなと思ってましたね。

そこから今にはどうつながって?

 インクスティック時代からかわいがってもらっていた、当時SOGOにいた山中浩郎さんが、藤井フミヤさんがソロになるから事務所を立ち上げるんだと。「お前来ない?」って言われて。それでFFMに行って、しばらくいて、そのあと浩郎さんがアロハ(・プロダクションズ)を作ったんですね。そのときにそのままそっちに行って、みたいな。

公私混同をしない、ずるいことをしない、嘘をつかない。それをやってきたから今、家族みたいになれているのかなって思います。

UAのマネージャーに

そこで山中さんが発掘してきたUAさんのマネージャーになると。当初、UAさんとはどうかかわっていこうと思いました?

 最初は正直、なんてわがままで面倒くさいんだって思ってました(笑)。だけど、やっぱり何がいいってライブがすごいんですよね。あと声? こんなに芯に響く声の人ってなかなかいないなと思って。あとはビジュアルもすごく私には重要っていうか。やっぱりカッコいい人じゃないと嫌だなっていう。

じゃあ、すぐに波調も合うように?

 いや、最初は全然合ってなかったと思いますよ。やっぱり信頼関係って、長く時間をともにしないと築けないと思うので。信頼関係ができてきたなと思えたのって、本当にUAがAJICOをやる頃なんですよね。

UAさんのデビューが1995年で、AJICOが2000年。5年くらいかかったと。

 もちろん徐々になんですけどね。それまでは顔を見たくないときとかもありましたよ。当時は朝から晩まで分刻みのときも多く、お互い本当に忙しかったから、殺伐としてて。

それでも続けてこられたのは?

 やっぱり彼女の持っているものが素晴らしいから、近くにいられるのはすごく幸せだなって思ったんですよね。9割きついことのほうが多いと思うんです、マネージャーさんって。だけど残り数パーセントで、とてつもなく素晴らしいものを見せられると、やってて良かったと思える瞬間が絶対にあると思うんです。それの繰り返しですかね(笑)。

公私混同をしない、ずるいことをしない、嘘をつかない。それをやってきたから今、家族みたいになれているのかなって思います。

独立しUAと二人三脚に

2006年に独立して個人事務所を立ち上げましたが、その年には菊地成孔さんとスタンダードジャズアルバム『Cure Jazz』を作りました。あれもカッコ良かったです。

 あれはUAのツアーに菊地さんが参加してくれて、菊地さんがもうUAラブで、アプローチがすごくて(笑)。UAも最初はちょっとビビってたんです。だけどスタンダードとか好きなんですね、彼女も。だから、じゃあトライしようってなって。

ただ、最初はちょっと抵抗が?

 あまりにジャンルも違うし、テクニックもいるのかなみたいな。UAは何に対しても、体もメンタルも仕上げてちゃんと向かわないとできないくらいの心構えなんですよ、いつも。

音楽にストイックなんですね。

 めちゃめちゃストイックだし、ある意味完璧主義だと思うし。やっぱりより良くしたいんですよね、自分を。そのために努力する。でも彼女はそれを見せないんですよ。本当に弱音を吐かない。すごいと思います。

その後、UAさんは沖縄に住んだり、今はカナダに住んでいたりと、暮らしも大事にするようになっていった気がします。

 彼女は今、子供が4人いるんですよ。子供を持つとみなさんそうだと思うんですけど、よりナチュラルにっていうか、やっぱりちゃんとしたものを食べさせたいっていうところから始まって、食べ物、環境ってだんだんなってきて。で、農的な暮らしにシフトしましたよね、すべて。

でもマネージメントとしてはもっと働いて!っていうのはないんですか(笑)?

 まあね(笑)。UAが昨年(2016年)出したアルバム(『JaPo』)が6年振りだったんです。もう外タレか!みたいな(笑)。なのに昨年やったライブもお客さんがすごく入ってくれて、本当にありがたいなって思いました。でもやっぱりね、一言で言うと、そういうアーティストなんですよ(笑)。

カッコいいアーティストとして

あははは! カッコいい女性というイメージはデビューからずっと消えてないですけど、UAさんは今、45才ですよね?

 そうです。で、今(デビューから)23年目なんですね。あと、女同士でマンツーでずっとやってるのも珍しいってよく言われるんですけど。

あ、一度も変わってないですもんね。

 そうなんですよ。私もこんなにやると思ってなかったんですけど(笑)。一回、離れようかって話をしたこともありますけど、そのときに一緒にやるって言ってくれたので。その代わり、じゃあフィフティフィフティね、私はカバン持ちじゃないし、どっちが上とかないからって。そういう話はしたことがあります。それこそAJICOのあとだったかな。彼女はおぼえてないと思うけど(笑)。

そこが大石さんのポリシーですね。

 あとは、とにかくずるいことをしないというのもポリシーとしてずっとあります。公私混同をしない、ずるいことをしない、嘘をつかない。私、それくらいしかできないんで。でもそれをやってきたから今、家族みたいになれているのかなって思います。何十人もいる事務所だとまた違うと思うんですけど、マンツーでやってると、どうしてもその人の家庭環境とか全部ひっくるめてってなっちゃうので。そこでやっぱりずるいことをしてたら、続かないですよね。

確かに。

 あと、私も全然窮屈じゃないからやれてるんだなって思います。彼女に子供がいるっていうのもあるし、40代半ばだから家庭中心になるし、マイペースになりますよね。それが私にもちょうど良かった。これが若いバンドで、楽器車でどこまでも行くぜ!ってんだったら、私たぶん、そういうの好きだけど体がボロボロになってると思うんで(笑)。

あははは!

 UAに関しては、もう本当にカッコいい歌のうまいババアになってほしいです(笑)。若い人が見てもカッコいいねっていう歌い手でいてほしい。海外みたいに歳をとってもミュージシャンがやっていけるような状況に、まだ日本は全然追いつけてないですけど、ほんのちょっぴりでもそれを切り開く存在になれたらいいなって本当に思ってます。

いや、もうなってますって。実際、UAさんって小学生が見てもカッコいいと思えるシンガーだと思うんですよね。

 実は、ちっちゃい子のファンも多いんですよ。NHKでずっと童謡の番組をやってたのもあって。本当に彼女はライフスタイルもカッコいいから、それを草の根ですけど、できるだけ多くの人に知ってもらって、音楽を聴いてもらって、できればライブ会場にも足を運んでもらいたい。でも、UAみたいな人ってほかにいないから、手探りでやっていくしかないんですよね。だから地道にやるしかないと思ってます。

PROFILE

大石美喜江

1966年生まれ、福岡県久留米市出身。インクスティック芝浦、江戸屋、FFMを経て、アロハ・プロダクションズに設立時に入社し、同事務所社長が発掘してきたUAのマネージャーを最初から務める。2006年にUAとともに独立し、KAを設立した。生粋のパンク、フェス好き。

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