音楽未来

2017.09.15

INTERVIEW

ORIGINAL LOVE

vol.40 田島貴男 ORIGINAL LOVE
-ポップの魔術師-

“オシャレな音楽”と言われ、ORIGINAL LOVEを思い浮かべる人は 多いと思うが、今回はその中心的人物である田島貴男をフィーチュア。 90年代を最前線で走り、音楽シーンが様変わりした 2000年代以降は時代に対応し活動範囲を広げ、若手アーティストとの コラボも数多く手掛ける“ポップの魔術師”にインタビュー。

text:柴 那典

 ここ最近、ceroやSuchmosと共演を果たしたり、アイドルグループのNegiccoに楽曲を提供したりと、精力的に活動領域を広げているORIGINAL LOVE=田島貴男。昨年にはデビュー25周年を迎え、そのソウルフルな歌声と普遍的なポップセンスは世代を超えて通じる魅力を放っている。
 中学生時代から曲作りを始め、デビュー前にはすでに200 曲以上のストックがあったという田島貴男。デビュー以前、ブレイクを果たした90年代の“渋谷系”の時代、そして今に至るまで、キャリアのターニングポイントを語ってもらった。

センスがある音楽の前提条件って、音楽の知識があるかどうかだと僕は思う。

音楽活動のスタート地点

田島貴男さんの音楽活動のスタート地点はどういうところにあったんでしょうか。

中学1〜2年の頃に“これだ!”と思っちゃったんですよね。音楽好きになって、自分でギターも弾き始めて“自分には音楽しかない”と思うようになった。中学2年のときに観たポリスのライブが決定的でした。パンク/ニューウェイブにどっぷりのめり込んだのもその頃からですね。

今のORIGINAL LOVEにつながるスタート地点、音楽を作り始めるようになったのはいつ頃でしょうか?

曲自体は中学1〜2年の頃から作り始めてました。ただ、もうひとつ始まりがあったとするなら、僕が大学に入った1985年あたりですね。その頃にパンク/ニューウェイブの勢いが失速したんです。つまらなくなって“違うんじゃないか?”と思い始めて。で、“スタンダードな良い曲ってどういう音楽なんだろう?”と、いろんな音楽のルーツを探るようになった。ブリティッシュビートやモッズやガレージパンク、あとはバート・バカラックを聴いたり、マーヴィン・ゲイからソウルミュージックを好きになったり。それが19〜20才くらい。今につながる活動は、だいたいそのぐらいから始まってるような気がします。

最初はThe Red Curtainというバンドだったんですよね。

そうです。前身のバンドがThe Red Curtainという名前で。僕がバンド名を思いつかなかったから、メンバーが「The Red Curtainがいいんじゃない?」って言ってきてくれたんだけど、“ORIGINAL LOVE”という言葉を見つけて、僕が「このバンド名にしたい」って言って変えたんで、基本的には一緒なんです。そもそも僕は中学から高校とずっと曲を作っていたんですね。宅録少年だったので100曲から200曲はあった。それで「受験が終わって大学に入ったら絶対バンドをやりたい」と言っていて。自分で作ったデモテープを友達に配って“これをバンドでやろう”っていうことで始めたのがORIGINAL LOVEなんです。

かなり幅広く深いリスナー遍歴があったんですね。

中古レコード屋で買ったり、友達のを借りたり、とにかく聴きまくりましたね。大学1〜2年の頃には中古レコード屋でアルバイトもしていて「店にあるレコードはいくらでも聴いていい」って言われていたので、1日中ずっと聴いてたんですよ。

田島貴男

1990年にピチカート・ファイヴを脱退し、ORIGINAL LOVEに専念。1991年にメジャーデビューし、数々のヒット曲を世に送り出した。

自分で作ったデモテープを友達に配って“これをバンドでやろう”っていうことで始めたのがORIGINAL LOVEなんです。

ORIGINAL LOVE黎明期

1988年には2代目ボーカリストとしてピチカート・ファイヴに加入していますよね。小西さんにはどんなふうにして誘われたんでしょうか?

小西さんは、ORIGINAL LOVEが当時あったネオGSのコンピレーション盤に参加した頃から曲を聴いてくれていて。ピチカート・ファイヴがファーストアルバムを出したあと、ボーカリストの佐々木麻美子さん、コンポーザーの鴨宮諒さんが去るということになったんですけど、ある日電話がかかってきて、誘われて加入したという感じですね。ピチカート・ファイヴに入ってからは、小西康陽さんや高浪慶太郎さん、長門芳郎さんのように、周りにいる人たちがみんな音楽に詳しかったので。自然に情報が入ってきてましたね。

そのときは田島さんはプロダクションに所属していたんでしょうか?

ピチカート・ファイヴは長門芳郎さんが社長をやっていたグレイテスト・ヒッツというマネージメントに所属していたんで、僕もそこに最初に入りました。事務所がパイド・パイパー・ハウス(南青山の骨董通りにあったレコードショップ。長門芳郎が店長を務めていた)の向かい側にあったんですよ。

1991年にORIGINAL LOVEは『LOVE! LOVE! & LOVE!』でメジャーデビューをして。そのときの手応えはどんな感じでしたか。

あまりわからなかったですね。ただ、自信はありましたよ。僕ほどたくさん曲を書いてるやつはいないと思ってたので。The Red Curtain結成以前に200曲あったし、ORIGI NAL LOVEを始めてからも毎日のように曲を作っていた。バンドのアレンジも全部自分で考えていて。だから曲には自信があった。ただ、デビュー当時にメンバーがほとんど入れ替わったんですよ。それもみんな年上の人たちだったし。だから自分のバンドなのになかなか僕の意見が通らなくて。歯がゆいというか、今ほど楽しいライブじゃなかった。

プライベート事務所設立

そこからのターニングポイントになったのは?

デビュー当時からある時期まではORIGINAL LOVE専用の事務所というものが作られてそこに所属していたんですけれど、僕がそこを飛び出して。そのあとにワンダフル・ワールドという会社を作ったんですね。2枚目の『結晶 SOUL LIBERATION』を出したあとくらい。もう1人、僕のマネージメントをしてくれる人と一緒だったんですけれど。ただ、社長は僕 で、最初の手続きも自分でやった。本当に大変でしたね。当時はそんなミュージシャンなんていなかったから、結構な事件でしたよ。自分の人生としてもすごく大きな体験でした。

大変だったことも多かったんじゃないかと思いますが。

今考えると、普通のミュージシャンがやらなくていいことをたくさんやった時期もあったと思いますね。夜の19時までマネージメント業務をやって、20時くらいからやっとミュージシャンになるみたいな時期も3年くらいあったんで。1人だとやっぱり心細いというか、マネージメントがつくことによって安心するというか、音楽にかなり集中できるという気持ちにはなりますね。やっぱりなかなか大変だったんで。面倒くさい仕事がたくさんあるんですよね。それで、いわゆるマネージメント側の気持ちは少しわかるようになったかな。スタッフがそういう仕事をしてもかまわないという気持ちになるような曲を作ったりライブをしないとダメだよなと思ったり。

その後ORIGINAL LOVEがムーブメントのなかで人気を拡大していく時期と、ワンダフル・ワールドが体制を固めていく時期が、シンクロしていた。

それはそうですかね。そうかもしれない。そのへんはあんまりよくわからないんです。

田島貴男

2011年より“ひとりソウルツアー”、2013年より“弾き語りツアー”も開始し、バンド形態のみではない活動の幅を広げる。2014年にはNegiccoプロデュースも手掛け話題に。

シンガーソングライターの仕事のやり方が変わった。若手には自分1人で作ってるアーティストもいた。 僕もやっと今のやり方に対応できたんですね。

90年代と00年代以降の違い

振り返っていただいて、その次のキャリアのターニングポイントはどんな感じでしょうか?

その次のターニングポイントは2011年の『白熱』ですね。あれはインディで出したんです。それまで通りアルバムを出してツアーをやるという形じゃなくて、インディで出していろんな形態でライブをやるやり方に変えた。この発案も僕からだったんですよ。お金がないじゃないかと言われて、「じゃあ、僕が全部1人でお金をかけずにやります」って言って、0円で作ったんですよね。だから『白熱』は誰の手も借りずに自分1人でマスタリングまで全部やったアルバムなんです。

そこでマネージメントの体制や音楽制作のやり方がガラッと変わった。

僕は見切り発車的にそうじゃなきゃダメだと思ってやったんですよ。このままじゃORI GINAL LOVEが終わるような状況だったので、なんとしてもアルバムを世に出したかった。メジャーのレコード会社が契約してくれないんだったら、インディで出そう、と。僕らの事務所だけでなく、音楽業界でシンガーソングライターが仕事をしていくやり方が変わったんですよ。90年代までと2000年以降は大きく違っていて、でもうちの会社はそれになかなか対応できなかったんですね。90年代はアルバム1枚作るのに1千万円以上は平気でかかってたし。まだスタッフ側にはそういう考え方が残ってたんですよ。でも、若手には自分1人で作ってるアーティストもいたんで、そのやり方で作ったのが『白熱』ですね。あと、“ひとりソウル”というライブを始めたのもその頃です。僕みたいなシンガーソングライターはバンド形式でライブをやろうとするとリハもツアーもお金がかかる。だからツアーも東名阪になってしまうし、フェスやイベントも赤字になってしまう。でも周りのミュージシャンはみんな弾き語りでやってるんですよ。弾き語りだったらマネージャーと2人で行けばいいわけだから、ツアーも全国をまわれるし、いろんなフェスに出られる。それで、田島貴男がやるんだったら、ただ弾き語りをやるんじゃなくて“ひとりソウルショウ”っていう形でやり始めた。やっと今のアーティストの普通のやり方に対応できたんですね。

田島貴男的ヒットの法則

そこで得たものが、今につながっている。

そう。そうすることによって、いろんなイベントから誘いが来るようになった。あとは“Love Jam”っていう自分のフェスも企画したんです。これも僕が強引に始めたんですよ。“そんなことやって何の意味があるの?”みたいにずっと反対されてたんです。でも僕としては「絶対やりたい」と言って。そこから若手のバンドとのつながりができたりもしましたし。

そうなるとイメージが変わりますよね。

それを観た人たちから、またいろいろ声がかかるようになってきたしね。今はマネージャーと2人でやっていて、自分の思ったことを全部やれる状況になった。やっぱりアーティストはいろんなことにアンテナを張っていて、今の音楽の動きにも敏感なんですよ。もちろんスタッフは採算を考えながらやれることとやれないことを判断するわけだけれど、そこを信じてほしいっていうところはありますね。

“Love Jam”にはペトロールズやceroも出演していましたね。

昔の体制だったら、ペトロールズやceroと一緒にライブをやることなんて、あり得なかったわけですから。だけど僕は絶対やりたいと。やったことによって、ものすごい広がったし、たとえばSuchmosともつながったしね。

彼らのようなアーティストとORIGINAL LOVEには、世代を超えた共通点を感じるんですけれども。どういうところが響き合ってると思いますか?

音楽好きなところだね。彼らも同世代と話が合わないときがあるって言うんですから。みんな音楽を知らない、僕ぐらいの世代のほうが話が合うって言うんですよ。never young beachもそう。彼らも若いのに音楽に詳しいし、新しい音楽も古い音楽も知ってる。レコードも買ってるしね。

田島さんや小西康陽さんもそうだったと思うんですが、いろんな時代に音楽に詳しい人たちがいて、それがヒットを作り出しているのでないかと思います。

ヒットするしないっていうのは、音楽を好きでたくさん知っているかどうかには関係ないんだよね。逆に“レコード何枚も持ってます”みたいな、音楽がめちゃくちゃ好きな人がヒットすることって実は珍しい。だから山下達郎さんや大滝詠一さんはすごいんだと思います。なぜかと言うと、マニアックな体質って、歌ったときに出ちゃうんです。だけど特に達郎さんの歌はそういうところを突き抜けている。歌に爽やかな景色が見える。そこが特別なんです。

ceroとかペトロールズみたいな人たちと、かつて渋谷系と呼ばれていた人たちに何か共通点があるような気はしますか?

“渋谷系”と言われてた人たちの多くは、達郎さんのような突き抜けた歌の力があんまりなかった人たちだと思うんです。だからそこにずっと違和感があったというか。達郎さんの何がすごいかって、やっぱりあの歌の突き抜け感なんですよ。逆に、全然音楽を知らなくてヒットする人もいる。ただ、それじゃやっぱりつまらない。オシャレな音楽、センスがある音楽の前提条件って何かっていうと、音楽の知識があるかどうかだと僕は思います。レコードをたくさん聴いて、音楽の良さを知れば知るほどカッコいいというのはどういうことか、いい音楽ってこういうことなんだって理解していく。そうやってセンスが磨かれていくという。やっぱり僕はそういう音楽が好きですね。

田島貴男

10〜11月には“田島貴男 ひとりソウルツアー 2017”を開催。その番外編ツアーとして、ペトロールズの長岡亮介との“ふたりソウルショウ”も合わせて開催する。

たくさん聴いて、音楽の良さを知れば知るほど、いい音楽ってこういうことなんだって理解していく。そうやってセンスが磨かれていくという。

若い世代の音楽制作者へ

田島さんの最近の創作のモードとしてはどういう感じなんでしょう?

最近またレコードを聴くのが楽しくなってね。ツェッペリンとかZZトップとか、ああいうロック系にハマってる。前は緻密なアレンジの曲を聴いて“どうやったらこんなの作れるんだろう”みたいに学ぼうとしてたところがあったのかもしれないけど、今はどんどん感覚がシンプルになってる感じですね。ギターがいい感じで鳴ってるカッコいい音楽を聴きたい。よりシンプルなものを好きになってきている感じですね。それが次のアルバムに響いていくのかどうかは、わからないところですけど。

では最後に。これからの時代のマネージャーやスタッフへのアドバイスがあれば。

バンドのメンバーみたいな考え方のマネージャーがいい気がしますよね。昔みたいな“このバンドで儲けるぞ”という体制的な感じより、メンバーの一員みたいに一緒に考えるというか。今の若いバンドはメンバーが主体的にやっているところが多いですよね。若いバンドの子って、すごくスタッフ的だし、みんな腰が低くてていねいじゃないですか。それってメンバーが自ら企画して音楽をやってるからですよね。昔のミュージシャンのような不器用なろくでなしじゃない(笑)。それはそれで素敵なことではあったけど、現在は今の若いミュージシャンたちのようなやり方のほうがいいんじゃないかという気がします。

PROFILE

1966年4月24日生まれ。東京都出身。1985年に前身バンドThe Red Curtainを結成し、1987年にORIGINAL LOVEに改名。1988年にはピチカート・ファイヴに参加し並行して活動するが、1990年に脱退し、ORIGINAL LOVEに専念。1991年にリリースした2枚組メジャーデビューアルバム『LOVE! LOVE! & LOVE!』が日本レコード大賞アルバム・ニュー・アーティスト賞を受賞。以来、数多くのヒット曲を送り出し、様々なアーティストへの楽曲提供、プロデュースを手掛ける。10月14日(土)より“田島貴男 ひとりソウルツアー 2017”がスタート。ファイナルは11月26日(日)渋谷O-EAST。

http://originallove.com/

RELEASE INFORMATION

26th single「ゴールデンタイム」

WONDERFUL WORLD RECORDS/XQKP-1008(WWCD-013)/発売中

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