音楽未来

2016.11.15

INTERVIEW

曽我部恵一

vol.35 曽我部恵一
-転がり続ける-

90年代を代表する名作『東京』が発表されてから20年、 今年は同作のボックスセットやニューアルバム『DANCE TO YOU』がリリースされたりと、2008年に再結成されたサニーデイ・サービス周辺がいつも以上に盛り上がっている印象だ。 その中心人物、曽我部恵一に、サニーデイのこと、 音楽活動のこと、マネージメントのことについて、話を聞いた。

text:宗像明将

 サニーデイ・サービスが新たなマスターピース『DANCE TO YOU』をリリースした。彼らがメジャーデビューアルバム『若者たち』を1995年に発売してから21年。『DANCE TO YOU』には、解散と再結成を経て、それでも活動を続けているバンドにしか生み出せない熱量が渦巻いている。
 そんな最新作のいっぽうで、1996年のアルバム『東京』の発売20周年を記念した『東京 20th anniversary BOX』も2016年にリリースされた。サニーデイ・サービスは、過去と現在をまたいで私たちの心をわしづかみにしているバンドなのだ。
 現在、サニーデイ・サービスは曽我部恵一が主宰するローズレコーズに所属している。2004年に設立されたローズレコーズは、多数の作品をリリースするとともに、曽我部恵一のマネージメントも行っている。設立から12年という歳月は、インディペンデントなレーベルとして十分に長いものだ。
 今回は、曽我部恵一に音楽活動とマネージメントの関係性について話を聞いた。

90年代からやっていることが変わってない(笑)。ずっとやりたいんで、無理してもな、っていつも思うんです。

サニーデイ・サービスの初期

サニーデイ・サービスは、1993年にリリースされた「COSMO-SPORTS ep」が私の周囲でも話題になっていました。あの頃、のちにメジャーデビューすることになるMIDIレコードのほかに、レコード会社から誘いは来ていたのでしょうか?

声なんてかかんないですよ(笑)。メジャーデビューしたのは、渡邊(文武/MIDIレコードのディレクター)さんに出会ったからです。僕らがインディでEPとアルバムを出した直後に渡邊さんに出会ったんですけど、あの頃は売れても1,000枚とかの話だったから、どこからも声はかからなかったですね。全然プロモーションもしなかったし。渡邊さんと出会ったので“お願いします”という感じでした。そういう縁があったからですね。

サニーデイ・サービスは、1994年のメジャーデビューとともに事務所に入ったのでしょうか?

ほぼ自動的にヨロシタミュージック(MIDIレコードの関連会社)に入ったのかな。最初はそこにも入ってなくて、レコード会社預かりでリリースしましたね。特に契約書とかはなかった気がするんだよな。

そこでのマネージメントとの関係はどんなものでしたか?

そんなに意識してなかったですね。渡邊さんがディレクター兼マネージャーみたいな感じだったんで、そのままやってました。途中からマネージャーがしっかりついたけど、そんなに違和感はなかったですね。

2000年の解散まで、サニーデイ・サービスとしてメジャーで活動した感想はどんなものだったでしょうか?

サニーデイはメジャーの普通のやり方とは違ったかな。ほぼインディみたいだったので。その後にユニーバーサルへ行ったときは“メジャーってこんな感じなんだな”と思いましたけど。MIDIは自由でしたよ。

サニーデイ・サービスを解散するときに止める人はいなかったんですか?

特にいなかったです。マネージャーはスケジュール管理をしているだけで、服装がどうとかもこっちにいっさい言ってこなかったですし。ギャラの交渉は事務所がしてくれていたのかもしれないですけど。

インディーズっぽいノリのわりには、サニーデイ・サービスはCMソング(1997年の「NOW」。ロッテのガーナミルクチョコレートのCMソングに使われた)もありましたよね。

あれも向こうから話が来たんです。でも、テレビに出たりプロモーションをしたりするのが面倒くさくて。撮影に衣装やメイクが入るのも絶対に嫌で、やりたくなかったんです。

それは今もでしょうか?

そういう感じで育ったので、あんまりスタンスは変わらないですね。

2001年からの所属事務所MUGENでは、どういう活動を目指したのでしょうか?

あれは当時のマネージャーが作った会社で、個人事務所ですよね。あんまり無理せず売っていこう、自然なスタンスでやっていこうとしていました。

曽我部恵一

90年代を駆け抜けたサニーデイ・サービス。1996年にリリースされたフォーキーなセカンドアルバム『東京』は、90年代の日本のロックの名盤として語られる1枚。

無駄に大きく見せて、大きな仕事を取ってくるのはやめようね、と。気持ち良く音楽をやれる環境を作ろうね、っていう前提でやってますね。

インディーズでのソロ活動

サニーデイ・サービスが2000年に解散後、曽我部さんはソロでユニバーサルミュージックと契約しましたが、セールスは気にしていましたか?

それはあったんじゃないかな? 2枚契約だったんですけど、成績がいいわけでもなかったので。契約更新の話もあったんですけど、“ほかのところとも交渉しようか”という話もチラッと聞きました。

ユニバーサルミュージックの前にreadymade internationalでも1枚出してますよね(2001年に小西康陽が主宰するreadymade internationalからリリースしたシングル「ギター」)。

小西さんに「出さない?」と言っていただいたので出させていただきました。その後、事務所を運営する資金も必要だったのでユニバーサルに行ったんですけど、そこまでですね、人からお金をもらっていたのは。

2004年に曽我部さんがローズレコードを立ち上げて、マネージメントも行うことになります。そこで完全にメジャーから離れた理由は何だったのでしょうか?

契約更新をしたりするのが面倒だったんです。いい条件のところを2年ごとに探すとか、単純に面倒くさいなと思って。そういうのが作品作りにも影響してくるし、実験的なものを捨てて作ることにもなるし。だから“だったら自分で金を出してやるほうが楽だな”と思ったんです。成績によっては、出資者に迷惑をかけているわけじゃないですか? 僕らに投資しているわけで。こちらの作品性で成績が左右されるんだけど、精神的にディープなときの重い作品では回収できないとかね(笑)。だからユニバーサルは2年で契約終了して、個人事務所もやめて独立したんです。

曽我部恵一

2008年に再結成以降のサニーデイはフェスのトリ常連に。今年は『東京』の20周年記念ボックスセットと、ニューアルバム『DANCE TO YOU』をリリースしている。

いいライブをして、お客さんに喜んでもらって、お金を出してもらって、生活がまわっていくのが、自分にとっては正しいやり方なんです。

セルフマネージメント設立

自分でマネージメントを運営してみてどんな感覚だったでしょうか?

大変ではないし、ただ仕事の規模が縮小しただけでしたね。それまで事務所がやっていたマネージメント機能がゼロになるので。

それで大丈夫なんですか?

だからライブは自分でブッキングをしていました。ライブするしかないんで。

プロモーションの戦略はどうしているのでしょうか?

テレビとかCMとか雑誌の表紙とかは無理なんで、あとは自分らの身のまわりのことをやるだけなんです。事務所のやることって2つあって、いかにアーティストを積極的に売り込んでいくかということと、もうひとつは金銭面のやり取りだったり。後者をスタッフがしっかりやってくれてます。無駄に大きく見せて、大きな仕事を取ってくるのはやめようね、とも言ってるんです。そんなのうまくいっても途中でなくなるんだし(笑)。気持ち良く音楽をやれる環境を作ろうね、っていう前提でやってますね。

あえて無理はしない、と。

そうですね。フェスも基本的に無理やりブッキングしないようにしています。メディアは昔から出稿しないと載せてくれないんで、宣伝費は使ってますが。宣伝したければお金を払うのがルールですからね。だから90年代からやっていることが変わってない(笑)。ずっとやりたいんで、今だけ無理してもな、っていつも思うんです。

ずっとやることを意識してるんですね。

下北沢CITY COUNTRY CITY(レコードショップ兼カフェバー)はどういう経緯でスタートしたのでしょうか?

仲間内で「レコ屋とカフェをやりたいね」と話していて、なんとなく作ったんです。最初の立ち上げはかかわりましたけど、今はなかばお客です。運営自体はうちの会社だけど、お金はもらってないです。そもそももうけようとしてないんです。そこのスタッフにお金が入ればいいかなと。そもそも自分は、自分の音楽で食えればいいから、ほかからもうけるのはどうなんだろう、って正直思うんです。いいライブをして、お客さんに喜んでもらって、お金を出してもらって、生活がまわっていくのが、自分にとっては正しいやり方なんです。そこは崩さないようにしています。

曽我部恵一

2005年には曽我部恵一BAND、通称ソカバンを結成。写真は2008年、初のオリジナルアルバム『キラキラ!』をリリースした頃。

誰でも知っているヒット曲が夢。音楽を作っている人間の共通の夢かもしれない。この先も音楽を何十年かやるなら、絶対にアプローチしていきたい。

セルフでやるメリット

ローズレコーズは、作品をリリースしているアーティストのマネージメントもしているのでしょうか?

基本的には“自分たちでマネージメントしてください”というスタンスです。自分以外のマネージメントは難しいよね。以前はMOROHAだけマネージメントもしたんですけど、うちからはもう離れてます。基本的に自分以外をマネージメントするのは難しいと彼らとの出会いで思いましたね。

ローズレコーズは経済的に大変な時期もあったそうですが、それでも続けてきたのはなぜでしょうか?

基本的にはスタッフにお給料を出せなくなったらたたむしかないんですよ。でも、そこまでは全然いってないです。毎月の支払いはできてるし、自転車操業だけどギリギリまわってる。資金繰りは大変だけど、まだ大丈夫かな、って。自分の活動が止まるとお金に困るのは予測できるんです。そこは難しいですね、だからといって作品を出しまくってもね。

ローズレコーズはCD、LP、カセット、配信などフォーマットもリスナーに柔軟に対応している印象があります。

“お客様は神様です”という考え方なので、できるだけ合わせたいんです。海外から買いたい場合、決済を会社としてPayPalでやれるように対応したいなと思います。海外から「YouTubeに歌詞を載せてくれ」と問い合わせがあったら載せていますし、ライブに子供を連れてきたいという希望があったときも。そういうことに最大限の努力ができるのが、自分で運営している利点だし、意味があるなと思いますね。たとえば、お客さんがライブのチケットをなくしたときに、どうしたら100%の対応ができるのかとか。問い合わせが1人からあれば、潜在的にはたくさんあるはずで、そこで1個良くなるんですよね。

2008年の再結成時、サニーデイ・サービスはメジャーでやることも考えていたと述べられていましたが、最終的にローズレコーズになったのはなぜでしょうか?

まずサニーデイを再結成してライブした段階では、ずっと活動する前提はなかったんです。ちょっとずつ軌道に乗ったとき、作品を出すなら僕のテリトリーよりもオープンな場でやるほうがいいんじゃないかなと頭にあったんです。でも、作り始めたら内容的にも“これをいちいちメジャーにプレゼンして出すのもどうなのかな”と思って、ローズレコーズにしました。あとはサニーデイの性質として、インディ感覚でやってきたので、いきなりメジャーでお祭り感覚でやるのはどうなんだ、って思ったんです。なんとなく氷を少しずつ溶かしていくような作業で、メンバーが全然会わなかったところから歩み寄っていったので、ドカーンという感じではなかったな。徐々にサニーデイの感覚を取り戻せたらいいなと思っていて、今回のアルバム(『DANCE TO YOU』)で熱量を取り戻せましたね。メジャーでやろうとなっていたら、また違ったでしょうし。でも、どっちでもいいほうに転がったと思うんですよ。お客さんにいいものを届けようとすれば、失敗することはないですからね。

曽我部さんはお客さんとの関係を本当に重視していますよね。

それしかないですよね。詐欺みたいなことをしたら終わるんですよ。信念として、より良いものを届けようとして、そこだけ間違わなければ、メジャーでも大手事務所でも、どこでも関係ないと思うんです。とにかくお客さんありきですね。

音楽人としての夢

今後、ローズレコーズでやっていきたいことはどんなことでしょうか?

個人的にですが、いわゆるヒット曲が欲しいなーと、ずっと思っていて。スピッツの「ロビンソン」みたいな曲がないんですよ。ヒット曲は欲しい。「どこに行っても俺の曲がかかってる!」とか夢ですね(笑)。一番売れたシングル(「NOW」)でも30位台で、「コマーシャルがついてもそれなんだ!?」って思ったんですよ。誰でも知っているヒット曲が夢ですね。事務所とか関係なく、音楽を作っている人間の共通の夢かもしれない。どこのコンビニでも流れているのがいいですね(笑)。歌謡曲も好きだし、この先も音楽を何十年かやるなら、絶対にアプローチしていきたい。自分の音楽性に余裕を持って、“売れなくてもいいや”と自分を圧迫しないようにしてきたところがどこかにあるから、貪欲にいきたいですね。そもそもこの時代の“ヒット曲”がどういうものかわからないですけど、興味はあるな。

最後に、今からプロのアーティストを目指す若者にマネージメント選びのアドバイスをください。

まずは契約であんまり縛られないようにして、やめようと思ったらやめられるようにしておくこと。不利益のない契約が大事。事務所がどう動くかはわからないので、ちゃんとやめたいときにやめられることを大前提にしたほうがいいと思います。絶対に。エージェントを使うぐらいのスタンスでいったほうがいいです。音楽に強い弁護士さんも出てきているので、そういう人を立てるのもいいかなと思いますね。

PROFILE

1971年、香川県出身。1992年にサニーデイ・サービスを結成。1994年にメジャーデビューし、1996年の『東京』で評価を高め、90年代の日本のロックシーンにその名を残す。2000年に解散後は、ソロ活動をスタート。2004年にレーベル活動と自身のマネージメント業務を行うローズレコーズを立ち上げる。2005年には曽我部恵一BANDを結成。2008年にはサニーデイ・サービスを再結成。今年8月には新しいオリジナルアルバム『DANCE TO YOU』をリリースした。現在行われているサニーデイ・サービス久々のライブハウスツアーは12月14日(水)15日(木)恵比寿リキッドルーム2デイズまで。

http://www.sokabekeiichi.com

RELEASE INFORMATION

new album『DANCE TO YOU』サニーデイ・サービス

ROSE RECORDS/ROSE 198/発売中